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2014年4月

2014年4月29日 (火)

波動は『情報なり』・氣は『意識なり』

この『見えない世界』を『波動の世界』といい、又は、『サトルエネルギーの世界』と言います。即ち、見えない波動に満ちている世界であり、波動は『情報』なのです。

では、見えない世界は何処に在るの?、となりますが、勿論右脳にあるのです。即ち、右脳はすべて波動情報ともに共鳴し、その情報をイメージ化して理解する能力(脳力)を持っているのです。
では、どうすれば見えない世界にアクセスすることが出来るのでしょうか?。人は全て自分の内(脳内)に光『氣(エネルギー)』を持っている、自分のうち側(脳内)にある目を開く(氣づく)と、その光(氣)を見ることが出来る。
上記のように、見えない世界と言いましたが、その世界は遠きに有らず、極々近くにあるのです。そう、あなたの身体の中(脳)にあるのです。
なのになぜ見ることが出来ないのだろうか、いや、見えないのではなく『存在に氣づかない』だけなのです。私が勉強会などで氣が出せないか出せるか否かの差は『力み』が有るか否かの差だけと言うように、見えない世界を見えるか、見えないか否かと全く同じなのです(o^-^o)
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私が、私成なりきで氣エネルギーを自由自在にコントロール出来る様になったのも自分の脳内(右脳)に氣(私の場合は、(左回り渦エネルギー)の存在に氣づいたから、この左回り渦エネルギー)を自由自在に使えるようになっただけのことなのです。
では、その右脳にある氣エネルギーとやらは、私のみが脳内に持ち合わせているわけではありません。皆さん全員の脳内(右脳)に等しくあるのです。
よって、誰もが等しく使えるのです。その使えるキーワードが『氣づき』なのです。ではどうやったらその『氣づき』が出来る様になるのかというキーワードが潜在意識(右脳)とのコミニューケーション(信頼関係)なのです。これらけで自分の氣を自由自在に使えるのです。
私から言わせれば、ではその『氣づき』とやらを得るために修行・鍛錬した方がいいですねと皆さんがお尋ねしたら私は即答で『NO』です。私は、以前修行・鍛錬して氣を得ようとしましたがだめでした。そこで私が考えたのが『自分を知る』ことでした。

2014年4月28日 (月)

脳内の記憶を知ることこそ自分をしること

私がセミナーや勉強会でよく言う言葉なのですが『脳を知ることは自分を知ること・自分を知ることは脳をしること』と・・・と、案外自分のことをあまりよく知らないのではないだろうか・・・みなさん自分の内面のことどれらけ知って、いや、分っていますか?

じゃぁあんたはどうなのよと問われると面目ありませんが、分っているとは答えられません。しかし、思うに、昨日(4/27)に氣功セミナーを開催したのですが、そこに肩こりの方が施療に訪れたのですが、その施療の内容が私、いや、脳の持ち主である自分の考えと裏腹に施療が進むのです。
そう、私の手(脳)が勝手に相手の症状を読み取って施療を進めてゆくのです。よって、その場にいた(参加者)に施療後に私が言った言葉が今日の施療内容は『本舗初公開』ですと・・・そう脳の持ち主である私すら今までやったことのない。そうです。そのテクニックは私にとっても『本舗初公開』的内容だったのは言うまでもありません。
しかし、これって私自身の脳内にある記憶に間違いないことは確かです。火のけの無いところに煙は立ちません。と言うことは私自身が脳(脳内にある記憶)を知らなかっただけなのかも知れません・・・(v^ー゜)ヤッタネ!!
Ccf20120623_00043この様に、私達は自身で脳内に何が記憶(記録)されているか案外分らないのかもしれません。いや、知ろとしないのかもしれません。

皆さんは、今自分の脳内データファイルがどれらけ、いや、どんな内容なのか、量なのか、そして、なんのために脳内に記憶して置くのか・・・を考えたことありますか。

やはり、これらの全てと言いませんが何十分の一でも良いから知っておいた方がいいのではないでしょうか。いや、知るべきだと思うのですが・・・特に自分のため、いや、自分の周りにいる人間関係のためにもです。

人は、一人では生きて行けません。他者とは必ず何らかの繋がりあり、生きつ生かされているのです。それらの詳細が脳の中にあるのです。そせらを知ることこそ自分を知ることにもつながるのです。

2014年4月25日 (金)

治療・治癒・自癒ってな~ぁに!!

ことだま氣功太郎の脳内治療室・・・誰もが、な~に、脳内が治療室だって馬鹿なこと言うな、そんなことが出来るはずが無いと言うでしょう。もっともです。ありえない話です。

しかし、しかしである。私は自分の脳内で相手方(患者さん)の治療をしているのです。ここで強調したいのは『治療・施療・施術』では有りません。私の実践しているのは『治癒』です。
治癒???、そう治癒なんです。いやいや正確には『自癒』です。ますます分らなくなって来た。お答えしょう・・・病気を治すことを『治療』といいます。病気が治ることを『治癒』と言います。
では、『自癒』とは、私が言う『治癒』とは、いや、『治る』は自らの力で良くなることで、『誰かにしてもらう』『他人によって・・・』ではなく、『自分でする』というとらえ方です。
上記を構えて、私は、相手方(患者さん)にその旨を言葉としてお伝えする治癒法を行っております。その治癒法が私の脳内にあり、つまり、私の脳内にある脳内データファイルが手術台であり、手術が必要であればそのデータファイルがメスにもなりますsign02
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上記でお話しした。手術が必要であればその脳内データがメス代わりと言いましたが、そのメスとは『話灸』です。その話灸とは、宗教言葉で説法すると解釈して下さい。そう、話と言うお灸を添えることです。
私が再三お話ししているように、私の治癒法の90%が話灸、つまり、言葉(言霊)の癒しです。そう、私の脳内に記憶(記録)されている膨大な治癒法を相手方(患者さん)に説法、いや、話灸することなのです。
皆さんは、氣功とか整体とかの施療を頭の中に描くのは手技であり、手を掲げて怪しげな素振りをする氣功師を思い浮かべるとおもいますが、それが、決して怪しい訳ではでは有りません。その人それぞれの形(姿)で施療しているに過ぎないのです。

2014年4月24日 (木)

ことだま氣功太郎の脳内治療室・・・誰しもが不幸にして病気になり病院に行き検査してもらい、そして、担当主治医が決まり、その担当主治医の指示に従って症状の改善に努力すると言うことは通常のパターンだと思うのだが、

こんなことを書くとまたまたお医者さんにお叱りを受けるとはおもいますが、果たして、このパターンが正しいのかと言うことです。勿論、主治医の行動が悪いと言っているわけでは有りません。
じゃぁ誰が悪いの・・・と詰め寄られても対応にこまりますが、しかし、少し冷静に考えたとき皆さんには生まれながらに神(自然界)から『専属主治医』が与えられているのではないでしょうか。その主治医とは『自然治癒力』という主治医です。
これで納得して頂けたでしょうか(o^-^o)・・・(´,_ゝ`)プッ・・・だめ、そうでしょうね、だって何のために病院があってお医者さんがいるんですもネ
しかし、皆さんが自分なりきで信頼している病院がお医者さんがあなたの納得いく結果を出してくれておりますか・・・勿論、結果を出して下さっている先生は多くおられますし、良くなっている、治っている方々もおられます。

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では、何のために神(自然界)は、私たちに『自然治癒力』という主治医を与えてくださったのでしょうか?・・・私は思うには、今の医療、いや、健康保険機構は破産寸前ですね。
それは如何してでしょうか?・・・それは、簡単に言えば皆さんが神(自然界)からあなたの健康維持のために使わした『自然治癒力』という主治医を使わなさ過ぎる馴れの果てなのです。勿論、その主治医を何らかの都合で使えない人もおられると思います。その数は微々たなものに過ぎません。
では何故、神(自然界)から与えられた『自然治癒力』という主治医をつかわないのだろうか?これは決して持ち主であるあなたの責任と責めるわけに行かないのが実情ではないでしょうか?
ならばなんなのさ・・・それは、この主治医の存在とその主治医『自然治癒力』の効果効能に氣づいていないのです。
皆さんは、自然治癒力という主治医の存在は人伝えに、いや、情報社会でうすうすは感じていると思うのですが、肝心要の『効果効能』ということになると、その効果効能を体験した人でないと分らないのが実情ではないでしょうか?
よくあの世(霊界)のことをよくお話しする人がおられますが、その人ってあの世に行って来たのかしら・・・と疑いたくなります。だって、あの世に行かない限りあの世のことは分らないのではないでしょうか?
この様に、体験しないとその実体はわからないのです。あたかも体験したと言っておられますが、現在のところあの世に行って帰ってきた人はいないと思うのですがこれって私の考えが間違っているのでしょうか?
ともあれ、私が言う脳内治療室とは、この『自然治癒力』が存在するのが脳(特に右脳)であり、皆さんが不幸にして病気になった時改善にi導く(治療してくれる)部屋が脳内なのです。

2014年4月22日 (火)

治療と治癒の違い・・・脳内治療室の全容

ことだま氣功太郎の脳内治療室とは、前回もお話ししたと思いますが、私は、本格的な整体術は勿論のこと氣功の学びで師に就いたことがないのです。更に、言うならば私70歳にして義務教育を受けたことがないのです。あまり自慢にはなりませんが?

故に、皆さんが、有名な大学だとかを卒業したと言うと何ぼか頭がいいと思わざるをえないのですが、そんなことを考えるとき自分を自分を自慢したくなる今日この頃です。
この様に、私は整体や氣功の先生に就かず自分なりきの技法(秘法かなぁ?)を会得し今までの約26年間で約12~3万人への臨床をして来ました。これって自慢になります。いや、自慢していいですよネ。
そう、皮肉・・・いやいや偶然かな、不思議かな、自分が学びに就いたことがないのに今氣功・整体技術を教える立場におります。
そして、こんなことを言うと、いや、書くと整体・氣功の先生方に批評を受けるかもしれませんが、学びを受けた殆どの方々が腰痛・肩こりを満足に治せないという実態が浮き彫りになっている昨今です。ここでお断りして置きますが、治すと癒すとは大きな違いがあります。
私が言いたいのは、治すと言うことです。治療は・・・治すことです。治癒は治ることです。この治癒が出来ない方々が多いと言うことです。
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上記イラストが、ことだま太郎の脳内治療室の見取り図です。私が相手方(患者さん)の諸症状を両手掌(片手しかり)で読み取り(センサ)し、その諸症状(イラスト右上)が私の脳裏(特に右脳に)映像化され<、その映像化されたものが相手方(患者さん)の今日の『カルテ』となるのです。
そして、皆さんには信じ難いことだと思いますが、この脳裏(右脳)に映し出された諸症状を自分の脳の中で改善に導くイメージ(意識)をする(施療)のです。
その脳内で施療する技法(私にとっては秘法です)は、その映像化された諸症状(正確には、相手方から伝わってくる脳波です)に話し掛ける(これを私は『体話』と言っております)のです。
その諸症状にどう話掛けかというと言葉(これを、ことだま『言霊』といいます)で、『楽になってね・良くなってね』と意識します。そうすることで、それを受け取った相手方(患者さん)はその通りになるのです。
これを『意識の波動』を相手方(患者さん)に送るといいます。人間は思ったことに移行するとよく言われます。故に、意識(思考しかり)の力は無限な力なのです。
無限が故に、良くもなるし、悪くもなるのです。そして、大事なのは、相手方(患者さん)に自立心を促すことたです。その自立心を促し『自癒を推進するのです。

2014年4月17日 (木)

脳内治療室とは・・・

題名のことだま太郎の脳内治療室とは、皆さんは信じ難いことだと思いますが、私は常に施療する時、脳内にその人(患者さん)を取り込むようなイメージ(意識)をし施療を進行させます。

よって、脳内が施療室なのです。だって、相手方(患者さん)の諸症状を感知するのは脳でしょう。つまり、相手方(患者さん)に手技(氣功しかり)を施す前にその人を脳裏に浮かべるわけですので、その脳裏に浮かべた第一印象がその人のその日のカルテ(治療方法・・・諸症状)なのです。
ししかるに、その第一印象の受け止め方、見方、考え方によって結果が違ってくるのは間違いのないところです。故に、その脳内(施療室)にどれらけの臨床例があるか否かによって、またまた施療の難しさや結果がそれに思考してしまうのではないでしょうか?Ccf20120621_00077
故に、私はセミナーなどでよく言うのが自分の脳内を肥やしなさいと言います。脳内に数々の施療例を在庫させて置かないと、極端な話しですが一つの症例しか、いや、その一つすら満足のいける結果は出せないて言っても過言ではありません。
私は、氣功整体師になり、施療院を開業し早26年になります。当初は来院される患者さんのカルテを作成しておりました。しかし、それも何時の日か作らなくなりました。なぜなら、その日、いや、先日訪れた患者さんであれ、その日の状況(症状)は違うからです。
よって、過去(先日)のカルテなど当てにならないのです。その日その日の相手方(患者さん)の諸症状を最優先にしなくてはならないのです。

2014年4月14日 (月)

氣的に生きることは宇宙の氣と繫がること

私は氣をいつも意識しながら『氣的生活』を提案しています。すべての根源となるエネルギー『氣』を意識することは、人生の基軸を揺るぎないものにすることです。

身体も心も人間関係も、ビジネスも恋愛も『氣』によって支えられています。『幸運』も、氣の流れが順調であるときに起こる自然現象です。氣をペースに考えることができるようになると、目先の利益や小さな考えに縛られず、宇宙的視野に立って、人生を捉えられるようになるのです。
例えば、ちょっとしたアクシデントがあったとき、二次元的なものの考え方しかできないと、『良い』『悪い』の判断しかできず、自分か相手を責める
なりがちです。
もし、あなたが大きな氣の流れを感じることができたなら、この問題が起きている意味が明確にわかるはずです。

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宇宙の波動とあまりにも違うもの、自然の規律に反するものは、大いなる宇宙意識によってストップがかかります。そのまま進むと、バランスが崩れて、さまざまな弊害が出ることでしょう。

それは、『良い』『悪い』の判断を超えた宇宙意識の絶対的判断力です。時には、全てがよい状態で進んでいたものが、急にひっくり返ることもあります。
そのときには、大きな魚を逃した気分で地団駄を踏むかもしれません。




2014年4月13日 (日)

氣はすべの根源たるエネルギー

『氣』は、すべてのものを創っているエネルギーであり、そして、すべての現象を生み出すエネルギーです。

『すべてのもの』の中には、私達をはじめとする生命体があります。私達の肉体は六兆個の細胞からできていますが、この細胞の構成最小位は、原子です。
原子は原子核と電子からなるエネルギーです。そのエネルギーは、流動的なもので、大元に『氣』があると考えてください。動物も昆虫も命あるものはすべて、氣から創られています。
次に、地球にあるすべてのもの、森も川も石も、そして、地球自体も氣でできています。そればかりか、地球の外に広がる宇宙も氣が織り成す空間です。目に見える小さな虫も、目には見えないけれども、たしかに存在する風も、根源は氣があるのです。
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氣は物質を構成するだけではありません。現象を生みだすのも氣です。肉体の元気を作るのも、病気をつくるのも氣です。
人と人との間にも氣は存在していて、良い人間関係をつくりだすことも関わっています。仕事がうまくいくのも、うまくいかないのも氣の為せる業。運・不運にも氣が関与しています。つまり、すべてのの現象は、氣の状態により生み出されるのです。
この様に、氣は、ものの『状態』と『現象』を創りだすのですから、この世で起こるすべてのことに関わりをもっているといえます。このことを人間の心と身体の状態で考えてみるとわかりやすいでしょう。

2014年4月12日 (土)

あなたも私もエネルギー体

あらゆるところに存在する氣は、お互いが共鳴しあって、交じり合います。私達の肉体も氣ですから、自分以外のものと、まじりあい、変化する流動なものなのです。

肉体が流動的であるというのは、ちょっとイメージしにくいかもしれませんが、極端にいえば、水と同じです。
たとえば、A.、B、Cという三つのコップの水を、一つの洗面器に入れると、どれがAの水であったのか、BやCであったかは、全くわからくなるほどまざりあってしまいます。
宇宙全体を大きな洗面器と考えて下さい。私たちを構成している原子も、水のように、常に、あらゆるものと交流しています。
自分という個人が、他の人や、樹木や花びらや、雲や雪とまじりあいながら、原子交換をしているのです。
固定的であるかのように見える人間の肉体も、それを構成する原子は、流動的に変化しつつ五年間ですっかり入れ替わってしまうのです。固定的なものなどひとつとなく、すべてはまじりあい、ひとつながりの生命体なのです。
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そのことが、感覚としてわかるようになると、他人を自分のことのように想い、自然の一部として自分を感じことができるようになります。
私達は、大いなる宇宙意識と繋がりながら生かされている輝かしい存在なのです。私が継承する言霊(ことだま)氣功の概念は、本来の輝くエネルギーをもった自分が、ニュートラルボジションなのですから、エネルギーを淀ませ、心身の不調を訴えるのは、本来あるべき姿ではないのです。
自らのエネルギー状態を、宇宙意識と同じものに、高めていくことが大切ではないでしょうか。とかく整体手技療法等では揉んだり押したりする手技ですと、その氣エネルギーを押さえ込んでしまう傾向がありますので、やはり人間は氣エネルギー体ですので、この氣エネルギーで本来の姿に戻すことを心掛けなくてはならないのです。

2014年4月11日 (金)

生命力は氣の力

私が、約6年前(平成20年)に突然自身が何なんだか分らなくなり、最終的には、あの自殺で有名な富士の裾野の青木が原まで死神に導かれて・・・だが、死神が私を青木が原まで導いにも拘わらず死神は私を死してくれなかった。

私は、思うには生命力であろうと思う。そうその生命力とは氣の力なりなのてだある。死神に導かれて青木が原まで、しかし、その死神以上に生命力、つまり、生まれながらに備わっている生命力と言う氣エネルギーだろう。
病気もそうであろう・・・生きる、治るという自分の中に潜んでいる氣の力に目覚めたとき一瞬にして病気という死神は自分の身体から消滅するのである。
このように、『氣』は、エネルギーであり、生命力を支えるものでもあるのです。一般にいう生命力も、氣エネルギーのことなのです。
生きている、いや、死神が死する場所に導いても、そこに、生きるという生命力に目覚めればそれは回避してくれるのが命のエネルギー、生命力があるからです。つまり、生命力(氣エネルギー)が不足すると病気になり、まったく無くなることを死を迎えます。
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『生』と『死』を分けるものがあるとすれば、『氣』が存在するか否かというこどでしょう。『氣』があれば、肉体は百歳までラクラク生きていけるちといいます。だって、人間には生まれながらに左脳に50年、右脳に50年という生命力を自然界から授かっていると言われております。
『氣』があれば、自然治癒力や免疫力も充分に機能するので、病気になりにくく、もし、病気になっても簡単に治ってしまうのです。
元来、人間の身体は、素晴らしくできていて、『健康』という状態を保てるような機能を備えております。
病気になっても治りにくいのは、本来の働きがきちんと機能していないからで、機能させるためには、『氣』を補充してあげればいいのです。
人間は、一端病気になると氣を消耗させるような考え方や行動をとっていたのでは、ますます治らない状態を自らつくりだしているのです。

2014年4月 6日 (日)

ことだま太郎の氣功理論・自分自身をどう感じ取ってますか?

突然ですが、あなたは、、あなた自身をどのような存在なのかご存知ですか?鏡の前に立ち、自分自身を映して観て下さい。その鏡に映っているどんな姿であなた自身であることには間違いありません。

まさか、これが自分のはずがないと言われる方はよもやおられないと思いますが如何でしょうか?・・・とは言え大半の方々は自尊心が薄らぐのではないでしょうか?

そんな時、目を閉じて下さい。そうすると、いろいろのものが見えますネ。周りに可憐なお花畑が広まっていたり、空を飛んだり・・・目を閉じれば、何でも見ることができます。そう、目を開けたままで周囲を見渡すと現実を現実と見てしまうのです。
鏡に映った自分の姿をより一層によく見れば目を閉じて脳、いや、『心眼』で自分自身を見つめることも時には必要なのです。
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そう、目を閉じれば見るだけでなく、いろいろなことを感じたり、考えたり、思ったこともできます。何故でしょうか、今あなたは2通りのあなたを感じているはずです。そう、これこそがあなたの真の姿の出会いなのです。

一つは、身体という、目に見えない存在と、もう一つは、心という、目に見えないが、何でも見ることが出来、どこえも行くことが出来の存在・・・

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